佐々木昭一郎『創るということ』

創るということ

創るということ

"omnea mea porto a cum"(私は持てるものの全てを、持ち運ぶ)

先日、佐々木昭一郎の講演会&映像作品の上映会に行った。彼の作品や言葉は、すごく優しい。クレーの天使みたいに。ゴッホの靴みたいに。パンクロックみたいに。

こんな映像作家が日本におったとか全然知らんかった!!遠藤利男による前書きも良かった。講演の中で痛烈に批判していた「広告と管理」とどう闘ったのか、垣間見える気がする。「意味」や「メッセージ」を破壊することで、脱商品化された映像の豊かさを引き出そうとした。んだと思う。

【引用】

「夢をあきらめちゃいけない」なんていう有名人、なぐりたくなる。みんな夢をあきらめて生きてるんです、ほとんどの人が。あきらめを知り、じっと川面を見つめる人……こういう人に「夢をあきらめるな」と言葉で説教するのはダメだ。言葉にするな、と言いたい。—p. 16

ぼくは今のテレビドラマをとりたてて批判するつもりはないんだけど、ただ、目をつむって聞いてみると、言ってることが、みな”文章”です。それはたぶんステージから派生してきてそうなってるんだと思うけれど、あまりにも説明しすぎというか、自分の身の上、他人の身の上まで、とにかく何でも説明してしまう。それは、人間の意志伝達の基本ではないとぼくは思うんです。だから、ぼくは、「私は悲しい」とか「私はうれしい」なんて、決して言わせない。人間は悲しくたって笑ってることもある。それを演劇だからといってことさらわからせる必要なんてない。—p. 22-23

「歩く」ということにしても意味を付ける必要はない。「立つ」ということにも意味をくっつける必要はない。意味をつけたら論文が歩いているようなものです。—p. 28

演繹的にだらだらと人類の不幸を自分一人だけが背負っているかのような社会的背景を前面に押し出してくる作品は、ドキュメンタリーでもドラマでもなく、作品以前でしかないと思う。「私たちは……」という全人称では、表現にはならないんです。—p. 30

いまは、世の中全体にコマーシャル主体でしょう。どうしてもわかりやすく、ストーリー性の目立つものでないと受け入れられない。—p. 35

すぐれた小説は、苦しみを与えるね。—p. 49

頭の中に浮かんで字に書いたものって、生きてないんだ。—p. 87

よく大人は、若い人を説教する時に、今の若者はダメで昔はよかったっていうけど、あれは嘘なんだ。今の若い人もやがて年をとったら、自分たちの記憶を、大事に持つと思うんだね。—p. 144

Notice
Persons attempting to find a motive in this narrative will be prosecuted; persons attempting to find a moral in it will be banished; persons attempting to find a plot will be shot.
By ORDER OF THE AUTHOR
per G.G., CHIEF OF ORDNANCE.—p. 189

ぼくは、だらだらと歴史の悲しみを伝えるレアリズムは、塗り絵に着色するに等しいと考えています。登場人物の奥に物語を隠し、レアリズムを超えるのがぼくの方法論です。「時間」(歴史)を潜り抜けて、苦しみをペーソスに転化させ、陽気に振舞い、微笑を浮かべる人びとを創造したかったのです。—p. 200