岩竹美加子『民俗学の政治性』

民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から (ニュー・フォークロア双書)

民俗学の政治性―アメリカ民俗学100年目の省察から (ニュー・フォークロア双書)

ポストモダン的状況は、「知識」は、客観的な事実というよりも、特定の政治的、歴史的状況の下で、社会的に構築されるという認識をもたらした。[...]ある知識が正当なものとして確立するためには、政治的な力関係や、他のそれとは相入れない知識との間の闘争に打ち勝つ必要がある。したがって、知識は決して中立なものではなく、政治的なものである。—p. 19

アイデンティティーは、単独では存在し得ず、自己を定義するために必ず他者を必要とする。それ自体の絶対的な基準を持つものではないので、他のアイデンティティーに変化がおこると、再編成を行なう必要がでてくるのである。—p. 22

 表象の危機は、また学問的資料と呼ばれるものは、構造や意味、価値を内在させているというよりも、政治的な性格を多分に持ち、ある政治的、社会的、文化的、歴史的文脈の中で資料として構成されたものであることを明らかにした。ポスト構造主義的状況においては、資料に潜む本来的な構造を発見することよりも、資料が作られてゆく政治的な過程を追究することの方に重心が移ってゆくのである。

資料が政治的なものだという認識は、近代化によって破壊される前の民俗社会には資料があふれるほどあった、というような発言を不可能にしてしまう。資料は、決して自然にあるのではなく、それぞれの学者がとる特定の政治的、学問的立場や、より大きい社会的状況の中で意味や構造を与えられ、取捨選択を経て、資料に作られるのである。したがって、あるムラには資料が多かったり、他のムラには少なかったりするのではない。それは、ある学者の政治的判断や意図、特定の価値基準に見合うような資料の多少を指すのである。—p. 22-23

フィールドワークという経験は、直感や、さまざまな感情、類推等を駆使して人類学者と研究される人やグループの間に共通で、それぞれにとって意味のある世界を作り出すプロセスであることが理解されるのである。—p. 57