村上春樹『海辺のカフカ』
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/01
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ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる。—p. 233
全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities——まさにそのとおり。逆に言えば想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。—p. 277-278
彼女はおかしそうに笑う。「でも、よくわからないな。そんなの黙って勝手に想像していればいいじゃない。いちいち私の許可をもらわなくたって、君が何を想像しているかなんて、私にはどうせ分かりっこないんだから」
いや、そうじゃない。僕がなにを想像するかは、この世界にあっておそらくとても大事なことなんだ。—p. 280
腕立て伏せ、シットアップ、スクワット、逆立ち、何種類かのストレッチ——機械や設備のない狭い場所で、身体機能を維持するためにつくられたワークアウト・メニューだ。シンプルなものだし、退屈ではあるけれど、運動量に不足はないし、きちんとやればたしかな効果がある。僕はジムのインストラクターからそれを教わった。「これは世界で一番孤独な運動なんだ」と彼は説明してくれた。「これを最も熱心にやるのは、独房に入れられた囚人だ」。—p. 284
目を閉じちゃいけない。目を閉じても、ものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けた時にはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ、ナカタさん。しっかりと目を開けるんだ。目を閉じるのは弱虫のやることだ。現実から目をそらすのは卑怯者のやることだ。君が目を閉じ、耳をふさいでいるあいだにも時は刻まれているんだ。コツコツコツと。—p. 310
ジョニー・ウォーカーはくすくすと笑った。「人が人でなくなる」と彼は繰り返した。「君が君でなくなる。それだよナカタさん。素敵だ。なんといっても、それが大事なことだ。『ああ、おれの心のなかを、さそりが一杯はいずりまわる!』、これもまたマクベスの台詞だな」—p. 314
「[…]自然というのは、ある意味では不自然なものだ。安らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ。その背反性を上手に受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要なんだ。だから僕らはとりあえず街に戻る。社会と人々の営みの中に戻っていく」—p. 324
「経験的なことを言うなら、人が何かを強く求めるとき、それはまずやってこない。人が何かを懸命に避けようとするとき、それは向こうから自然にやってくる。もちろんこれは一般論に過ぎないわけだけれどね」—p. 325
ただね、ぼくがそれ[差別]よりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。—p. 384
ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうが、そんなことは別にどうだっていい。どんな旗を掲げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ。—p. 384
想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのは、そういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか—もちろんそれも重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。—p. 385
「[…]だからね、俺が言いたいのは、つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きている限り、まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。いちばん大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。それを自分の目を使ってみるか見ないか、それだけのことだよ」—p. 400
「[…]俺はべつに頭なんて良かねえよ。ただ俺には俺の考え方があるだけだ。だからみんなによくうっとうしがられる。あいつはすぐにややこしいことを言い出すってさ。自分の頭でものを考えようとすると、だいたい煙たがられるものなんだ」—p. 400
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/28
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「『純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ』」青年は顔をあげ、口を半分あけて、女の顔を見た。「それ、何?」
「アンリ・ベルグソン」と、彼女は亀頭に唇をつけ、精液の残りを舐めてとりながら言った。−p. 96
[...]カーネル・サンダースは舌打ちして言った。「啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。啓示なしになんの人生だ。ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。」−p. 101
「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのはあくまで融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前には神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍から『もう神様であるのはよしなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』って言って、1946年以後は神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのは、それくらい調整のきくものなんだ。安物のパイプをくわえてサングラスをかけたアメリカ軍人にちょいと指示されただけであり方が変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない」—p. 126
「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。地球も時間も概念も、愛も生命も信念も、正義も悪も、すべてのものごとは液状的で過渡的なものだ。ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ」—p. 127
「[...]。ロシアの作家アントン・チェーホフがうまいことを言っている。『もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない』ってな。[...]」—p. 127
「チェーホフが言いたいのはこういうことだ。必然性というのは、自立した概念なんだ。それはロジックやモラルや意味性とはべつの成り立ちをしたものだ。あくまで役割としての機能が集約されたものだ。役割として必然でないものは、そこに存在するべきではない。役割として必然なものは、そこに存在するべきだ。それがドラマツルギーだ。ロジックやモラルや意味性はそのもの自体にではなく、関連性の中に生ずる。チェーホフはドラマツルギーというものを理解しておった」—p. 128
「自由なるものの象徴を手にしていることは、自由さそのものを手にしているよりも幸福なことかもしれない」—p. 189
「ジャン・ジャック・ルソーは人類が柵をつくるようになったときに文明が生まれたと定義している。まさに慧眼というべきだね。そのとおり、すべての文明は柵で仕切られた不自由さの産物なんだ。もっともオーストラリア大陸のアボリジニだけはべつだ。彼らは柵を持たない文明を17世紀まで維持していた。彼らは根っからの自由人だった。好きなときに好きなところに行って好きなことをすることができた。彼らの人生は文字どおり歩きまわることだった。歩きまわることは彼らが生きることの深いメタファーだった。イギリス人がやってきて家畜を入れるための柵をつくったとき、彼らはそれがなにを意味するのかさっぱり理解できなかった。そしてその原理を理解できないまま、反社会的で危険な存在として荒野に追い払われた。だから君もできるだけ気をつけたほうがいい、田村カフカくん。結局のところこの世界では、高くて丈夫な柵をつくる人間が有効に生き残るんだ。それを否定すれば君は荒野に追われることになる」—p. 190-191
「昨夜あなたの部屋で、私たちのあいだに起こったことも、たぶんそういう動きの中のひとつだったと思うの。昨夜私たちがやったことが、正しいことだったのかどうか、私にはわからない。でもそのとき、私はもうむりになにかを判断するのはよそうと心をきめたの。もしそこに流れがあるのなら、その流れが導くままにどんどん流されていこうと思ったの」 —p. 197-198
「いろんなことは君のせいじゃない。僕のせいでもない。予言のせいでもないし、呪いのせいでもない。DNAのせいでもないし、不条理のせいでもない。構造主義のせいでもないし、第三次産業革命のせいでもない。僕らがみんな滅び、失われていくのは、世界の仕組みそのものが滅びと喪失の上に成りたっているからだ。僕らの存在はその原理の影絵のようなものに過ぎない。風は吹く。荒れ狂う強い風があり、心地よいそよ風がある。でもすべての風はいつか失われて消えていく。風は物体ではない。それは空気の移動の総称にすぎない。君は耳を澄ます。君はそのメタファーを理解する」—p. 234-235
「でもさ、ナカタサンはいったいどんなものを探しているんだい?」と青年は食事のあとで尋ねてみた。
「それはナカタにもわかりません。それは——」
「——実際に見てみればわかるし、実際に見ないうちにはわからない」
「はい、そのとおりであります」—p. 291
「どんなものでも、数量があるポイントを越えると、リアリティーが失われてしまいます。[...]」—p. 322
「いいかい、戦いを終わらせるための戦いというようなものはどこにもないんだよ」とカラスと呼ばれる少年は言う。「戦いは、戦い自体の中で成長していく。それは暴力によって流された血をすすり、暴力によって傷ついた肉をかじって育っていくんだ。戦いというのは一種の完全生物なんだ。君はそのことを知らなくちゃならない」 —p. 348-349
「思い出はあなたの身体を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます」—p. 355
「[...]起こってしまったことというのは、粉々に割れてしまったお皿と同じだ。どんなに手を尽くしても、それはもとどおりにはならない。[...]」—p. 377
「[...]このたった10日間のあいだに、俺は自分がすごく変わっちまったみたいな気がするんだ。なんていうのかね、いろんな景色の見え方がずいぶん違ってきたみたいだ。これまでなんということもなくへろっと見てきたものが、違う見え方がするんだよ。それまでちっとも面白いと思わなかった音楽が、なんていうのかね、ずしっと心に沁みるんだ。で、そういう気持ちを誰か、同じようなことがわかるやつと話せたらいいなとか思っちまうんだ。[...]」—p. 395-396
「自分を溶けこませる?」
「つまりあなたが森の中にいるとき、あなたはすきまなく森の一部になる。あなたが雨降りの中にいるとき、あなたはすきまなく雨降りの一部になる。あなたが朝の中にいるとき、あなたはすきまなく朝の一部になる。あなたが私の前にいるとき、あなたは私の一部になる。そういうこと。簡単に言ってしまえば」
「君が僕の前にいるとき、君はすきまなく僕の一部になっている」
「そう」—p. 461
「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。本当の答えというものはことばにはできないものだから」—p. 509
目が覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている—p. 528