イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

空間の寸法と過去のさまざまな出来事とのあいだの関係によりその都市はつくりあげられているのでございます。外燈の地面からの距離と吊し首になった簒奪者のたれさがった両足、その外燈から正面の手すりまで張り渡された蠅と女王御結婚儀の行列の道順を覆う花綵、その手すりの高さと暁にそれを乗り越える姦夫の跳躍、雨桶の勾配とその同じ窓の中にすべりこむ牡猫のもったいらしい歩きぶり、突如として岬のかげにあらわれた砲艦による弾道とその雨桶を破壊した砲弾、漁網の破れ目と舟着き場に座り込んで網をつくろいながらもうこれで百遍目も簒奪者の砲弾の物語を語り合う三人の年老いた漁師たち、何でもあれは女王様の不義の息子で、襁褓のままこの舟着場に捨てられたのだとかいうことだと。—p. 16-17

偶然と風がその雲に与える形のなかに、人ははやくもつぎつぎと形象を読みとることに夢中でございます。帆舟だ、手だ、象だ……と。—p. 22

遠い都会の見も知らぬ街並に迷いこんでゆけばゆくほど、そこにたどりつくまでに通り抜けて来たほかの都会がますますよく理解できるようになって来ており、今では数々の旅の道すじをさかのぼり、こうして船出して来た港、少年時代の馴染みの場所、家の周囲、幼いころに走りまわったヴェネツィアの辻の広場を知ることも学んで来ているのだ—p. 37-38

新しい都市につくたびに旅人は、すでにあったことさえ忘れていた自分の過去をまた一つ発見する。もはや自分ではなくなっている、あるいはもう自分の所有ではなくなっているものの違和感が、所有されざる異郷の土地の入口で旅人を待ち受けている。—p. 38-39

「思い出のなかの姿というものは、一たび言葉によって定着されるや、消えてなくなるものでございます」—p. 112-113

物語を支配するものは声ではございません、耳でございます—p. 175

もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求致します。すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます—p. 215