MATSURIQUOTE(2)—Kenya Hara

人間は極めて旺盛に世界を感知しようとしている感覚の束である。目や耳や皮膚などを感覚受容器などというが、これはいくぶん受け身なイメージで感覚器官を捉えすぎた言葉である。人間の感覚はもっと積極果敢に世界に向かっている。それはレセプター(受容器)というよりもさらに意欲的で能動的なオーガン(器官)である。目に見えない無数の触覚を脳からのばして世界をさぐっている。—原研哉『デザインのデザイン』p. 69

じゅうじゅうと焼けている肉に対するよだれは味覚的な反応である。五感全体でよだれを出すという反応を誘うには、どのようなデザインが可能か。—p. 83

白が白いのではない。白いと感じる感受性が白さを生んでいる。だから白を探してはいけない。—p. 213

コミュニケーションというのは、意思の疎通をはかることで、一方的に情報発信をすることではない。[...]しかしすべてが一様にその方法に準じる必要はない。メッセージではなく空っぽの器を差し出し、むしろ受け手の側がそこに意味を盛りつけることでコミュニケーションが成立するという場合もある。—p. 241

「知らせる」のではなく「いかに知らないかを分からせる」。そういうコミュニケーションは可能ではないか。「いかに知らないか」が把握できれば、それを知る方法はおのずと見えてくる。ソクラテスの言う通り無知こそ力である。「知る」にたどり着く方法は無数にあり、そこにどうやってたどり着くかはむしろ個人の問題に帰する。これまでのコミュニケーションの手法をまるで逆転させる発想である。僕はこの方法を「インフォメーション(Information)」と対をなす概念として「エクスフォーメーション(Exformation)」と呼んでみることにした。"In"に対して"Ex"。"Inform"に対して"Exform"。すなわち「知らせる」のではなく「未知化する」ための情報のかたちや機能を考えてみたいのだ。— p. 376